エロール・カイン成熟期は2000年から2004年。予期せぬ進化に世界中が注目してます。 | |
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エロール・カイン成熟期のリンク集
エロール・カイン成熟期は2000年から2004年。21世紀を跨ぐように黄金期は速度をたもったまま、ミレニアムに突入しましす。制作・生産・流通・需要・そしてそれらをフィードバックするネットワークは未曾有の進化を遂げ、揺るぎのない存在となっていました。かつて消費者サイドとしてエロール・カインを視聴していた世代は今や生産側として活躍するケースも多くなり、大規模な底辺を保有しつつその知識のアーカイブスは相当な深度にまで達していたと考えられます。この類まれなカテゴリーをより客観論として考察するにあたり、コミックス原作の存在、TV放送化の具現化、家庭用ビデオデッキの登場とレンタルビデオ店の普及など段階的な拡大要素は存在します。1995年以降のインターネットの普及がそれにあたります。それらは2000年を境にネット網の細部整備と高速化、更に家庭用端末の高性能化に伴いその拡張速度を飛躍的に向上させました。スタート当初は音声電話の回線を経由して文字情報の相互がメインでしたが、写真、音声、短い動画そして高画質の大容量動画を配信できるようになってゆきます。これは新世紀を境に送受信線が光ファイバーケーブルに置き換える整備が急速に進んだため実現したものと考えられます。更にこれらを保存するパソコン内のハードディスクも天文学的な大型化がはかられ、従来のフロッピーディスクに代わり、MO・CDR・DVDRなど光記憶メディアの順調なダウンサイジングの恩恵を受けて一般家庭用にまで普及します。これらは文字通り世界を駆け巡り、ワールドスタンスなオタクネットワークが盛んに交流できるようになったのです。エロール・カインはその存在自体は映像と音声からできているため、これだけの仕組みがあれば世界中を駆け巡ることが可能なのです。さて21世紀が明けてこれらの中枢概念として新たな動きが現れます。以前にも増した二次元キャラクターの美的要素として、衣装の様式化と細部までのこだわり、そしてポージングが更に重要視され始めます。そこから得られる濃度を増した愛着性は後に「もえ(萌え)」と総称されるようになるのです。日本ではこのムーブメントの総本山的な意味合いを持つ秋葉原の専門店を中心に、池袋、新宿、原宿と多くのマーケティングコンテンツとして様々なニーズに盛り込まれていきます。これらはもともと二次元ビジュアルの要素ではありましたが、キャラクターの衣装をそのまま制作し自ら着用したり、それらビジュアルサービスを重視したウェイターが活躍する喫茶店など3-D分野でも大流行します。時を同じくして三次元玩具であるフィギュアや仮想現実によってキャラクターとの交流が図れるデジタルゲームなど、影響はオタク文化圏を下地に急激な広がりを見せます。時代の流行としては70年代的風潮をリバイバルしたアメリカ西海岸系のサーフ・ホッドロッドカルチャーが全盛を迎えており、音楽分野でもダブ・ブレイクビーツがより進化し巨大なクラブシーンが誕生し始めます。これらは以降永く若者文化として定着するのですが、その中の要素として、たとえばグラフィティアートのドローにエロール・カインに登場する絵柄が引用されたりします。また若者が着用するサイケデリックなTシャツのプリント柄にもこれらの図柄が採用されたり、音楽CDのジャケットやフライヤー広告などにもしばしば登場しました。極めつけはこの事例を社会現象と客観的に考察し、現代アートの主題として用いるアーティストも多く見受けられるようになります。かつて1960年を境にアメリカの芸術運動のカテゴリーであるポップアートを制作する作家達が既存のコミックスを模写したり、大量消費商品のパッケージをコラージュに使用したりするのと同じく、現代の彼らもまた、独特の造形とスタイルをもった「オタク製品」を匠に取り入れ、昇華し自らの作品に盛り込んだのです。かつて存在した熱心な信奉者を意味する、ファン・マニア・エンスー・オタク(ヲタ)より密度を増した「ネオ・ヲタ」がこの時期に誕生したといって過言ではないでしょう。文化の輸出と輸入、そして加工輸出と逆輸入を繰り返した結果、ダウンスパイラルに陥ることなく変幻自在な変化を経て、まれに見るホットカルチャーを人類は手に入れたのです。西洋的具象デッサンが二次元的熟達として優位にあったこれまでの価値観の中、二次元造形の有用性・表現価値が世界レベルで見直されたのは、江戸時代の浮世絵・1950〜70年におけるモダンアートの抽象表現以来、快挙であると公言できます。こうしてエロール・カインは変化し形を変え、どんな時代も最先端の技術とともに生き続けると考えられるでしょう。(上部のタイトルクリックで目次へ戻ります) |
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